大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台地方裁判所 昭和44年(行ウ)3号 判決

原告 佐藤国雄

被告 仙台南税務署長

訴訟代理人 佐野国雄 河村幸登 久下幸男 ほか八名

主文

原告の請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

請求原因第1項、第3項及び被告の主張の1(事実掲示第二の三の1参照)の各事実は当事者間に争いがない。従つて本件における争点(即ち被告の再更正処分及び重加算税額変更決定の適否)が、専ら、末尾添付の別紙記載の一覧表の番号A欄の雑所得収入金六、九〇七万四、〇〇〇円を得るのに要する必要経費として

(一)  原告が訴外菅野義孝に対して昭和四二年五月二〇日に支払つたと称する違約損害金七五〇万円(同一覧表の番号C欄の13参照)、同月二三日に支払つたと称する売買差額金四〇〇万円(同上C欄の14参照)以上合計金一、一五〇万円を認めうるか否や、

(二)  原告が訴外増田金次郎に対して同四二年五月二〇日に支払つたと称する売買解約手数料、家屋明渡費用金一、〇〇〇万円(同上C欄の12参照)を認めうるか否や、

(三)  被告が、原告は同四二年五月二五日に訴外宮城車体株式会社に対して立退料として金三〇〇万円を支払つたものと認定したこと(同上C欄の11参照〕の可否、

にあること明らかである。なお、必要経費とは直接関係がないが、派生的に、原告は昭和四二年六月一九日に本件宅地の売主である訴外角懸啓司に対して、売買代金四、四八九万八、一〇〇円(同上C欄の1参照)とは別に、金一、六〇〇万円を支払つたと主張しているので、この点も併せ検討してみることにする。

ところで、本件訴訟の係属中に被告税務署長において更正決定及び重加算税の変更賦課決定をなし、それに対応するごとく原告が訴を変更するに至つたので、前示各事実の検討に先んじて、被告の各決定と原告の訴変更との関係について言及してみることにする。税務署長は更正決定した後でも納税申告書に記載された課税標準等又は税額等が調査したところと異つて過少であることを知つたときは、その調査に基づいて更正決定にかかる課税標準等又は税額等を更に更正すべきことは国税通則法第二六条の定めるところであるから、税務署長はかかる場合には当然に再更正すべきであつて、それを為さざることが却つて違法の誹りを免かれない。これを本件について看るのに、被告は更正決定当時、雑所得収入の必要経費として菅野義孝に対する違約損害金七五〇万円、売買差額金四〇〇万円(同上C欄の13、14参照)を原告の申告どおり認定したが、更正決定後の調査に基づいてこれを否認し、その否認に伴つて従前の重加算税の変更賦課決定をしたのであるから、更正処分の取消訴訟が係属中であると否とに拘らず、被告の右処分は前示法条に照して適法である。されば、この点に関する原告の不満らしき口吻(事実摘示第二の一の3参照)は当を得たものとは言えない。而して、再更正は更正を修正する新たな処分ではあるけれども、更正なくして再更正はあり得ない関係に鑑みれば、更正決定を争う訴訟の係属中に再更正がなされた場合には、納税者はその再更正に応じて訴を変更すれば足りるものと解するのが相当である。してみれば、原告はもともと更正決定のうち総所得金額一八七万一、〇五〇円、所得税額金二六万二、八〇〇円を超える部分及び重加算税賦課決定の取消を求めて訴訟中であつたのであるから、その訴訟の係属中に再更正により総所得額、所得税額、重加算税額が更正決定のそれよりも一層高額に決定されても、それは、原告にとつては取消を求めるべき額が増加したということだけなので、かかる場合には、訴を変更して再更正決定のうち原告主張の前示総所得額、所得税額を超える部分の取消と重加算税額の賦課決定の取消を求めればよいこととなる。

なお、原告の主張する雑所得収入の必要経費が被告によつて否認された場合に、その立証責任を原、被告のいずれが負担するかは未だ裁判例は確立したものとは言えないが、当裁判所は、先ず原告において必要経費を支出した事実を一応立証し、次いで、被告においてそれを否認すべき事実及びそのゆえんを立証すべきものと解する。

一  原告が菅野義孝に支払つたと称する違約損害金七五〇万円、売買差額金四〇〇万円の有無(一覧表の番号C欄の13、14参照)、

(一) 〈証拠省略〉には、売主原告が買主菅野義孝に対し本件宅地を代金六、三〇〇万円で売渡すこととし、その手附金七〇〇万円を即日(昭和四二年三月三日)原告が菅野から受領したこと、残代金は同四二年五月三〇日限り所有権移転登記手続完了と同時に授受すること、菅野において違約の場合は、本契約は直ちに解約とみなし前記手附金は原告の所得とし、又、原告において違約の場合は、原告が菅野に対し手附金の倍額を支払うことと記載され、そして、その末尾の売主欄には、原告の住所、氏名が記載され、その名下に原告の印影が顕出され、買主欄は、「東京都千代田区丸の内一丁目二番工業クラブ内、菅野義孝」と住所、氏名が記載され、その名下に「菅野」と刻せる丸形の印影が顕出され、立会人欄には、住所の記載がなく唯「馬場栄一」と氏名のみが記載されてその名下に「馬場之印」と刻せる角形の印影が顕出され、同じく立会人欄に「仙台市長者荘一〇四の一増田金次郎」と住所、氏名が記載されてその名下に「増田」と刻せる丸形の印影が顕出されていること、又〈証拠省略〉には、金一、四五〇万円を「昭和四二年三月三日売買に依る解約金その他経費として受領した」旨及び「此の件に対しては一切関係ありません」と記載されていて、その末尾には「東京都千代田区丸の内一ノ二工業クラブ内菅野義孝」と住所氏名が記載され、その名下に前示同様の菅野の刻せる印影が顕出されていることが認められ、そして、〈証拠省略〉には、右各書証の趣旨に副うごとく、原告は増田金次郎の仲介で菅野義孝との間に昭和四二年三月三日原告宅において〈証拠省略〉のごとく本件宅地の売買契約を締結し、即日手附金七〇〇万円を受領したところ、その後に至つて東映株式会社から本件宅地を金六、九〇七万四、〇〇〇円(坪当り金二〇万円)で買受けたき旨の申込を受けたので、同年五月一六日頃原告宅において、原告と菅野間の前示売買契約を合意解除し、その際、原告が菅野に対し違約損害金として金一、四五〇万円(内金七〇〇万円は先に受領した手附金)と東映に本件宅地を売却することに因り生ずる利益金のうち金四〇〇万円を支払うことを約し、同月二〇日原告宅において原告が菅野に対し、右の違約損害金一、四五〇万円を原告の手持現金(ここに手持現金とは、預金の払戻などして準備した現金ではなく、常時手元に保管している現金である)のうちから現金払いした旨の供述がある、けれども

(1)  原告本人尋問の結果(第一回)中には、

(イ) 〈証拠省略〉はいずれも原告宅の応接室において作成されたものと供述しているにも拘らず、原告は、〈証拠省略〉に記載されている買主菅野義孝の住所、氏名、立会人馬場栄一の氏名、同じく立会人増田金次郎の住所、氏名が何人によつて記載され、その名下の印影が何人によつて顕出されたものかを確知しておらず、〈証拠省略〉に記載されている菅野義孝の住所、氏名、その名下の印影についても右と同断であつて、菅野が作成したものか否やを全く確認していない旨を供述していること、

(ロ) そして、原告は買主菅野義孝の職業、資産状況などの調査は全くなさず、固より立会人両名のそれについても調査することなく、結局、買主、立会人が如何なる職業に就き、どの程度の資力を有するかなどを無視して取引した旨を供述していること、

(ハ) 菅野に対する右の違約金一、四五〇万円の支払と同時に増田金次郎に対しても、本件宅地に居住する者を立退かすための費用の一部として、手持現金のうちから金七〇〇万円を現金払いした旨を供述していること、

に徴すれば、かかる高額の取引を為すに当たり、買主、立会人の身元及び資力も調査せずに為された異例な取引と言うべく、剰え、昭和四二年五月当時において個人が金二、一五〇万円にも及ぶ現金を手元に保管していると言うことも甚だ不自然な保管方法と言うべきである。而して、

(2)  原告は昭和四二年五月二三日菅野に対し、東映から入金した売買代金のうちから、売買差額金四〇〇万円を支払つたと主張しているが、〈証拠省略〉に徴すると、東映からの売買代金の支払は、いずれも地銀行振出しの小切手でなされ、原告の取引先である協和銀行仙台支店の原告名義の普通預金口座に昭和四二年五月二三日金一、〇〇〇万円(手附金である)、同年六月五日金五、九〇七万四、〇〇〇円(残代金である)が入金されているが、その入金の前後において、菅野に支払つたと称する前示金四〇〇万円に相当する金額が払い戻された形蹟のないことが認められると共に、原告の全立証に徴しても、原告がどこで菅野に対して右金員を現金、小切手、手形等のいかなる方法で支払い、領収書を徴したか否やを認めるに足りる証拠がない。

(3)  ところで、原告と菅野間の前示売買契約の締結及びその合意解除、並びにその解除に伴う違約損害金の支払いが真実だとすれば、菅野に対する売買代金は金六、三〇〇万円で、東映に対するそれは金六、九〇七万四、〇〇〇円であるから、その差額利益は金六〇七万四、〇〇〇円と算出されるところ、合意解除により菅野に支払うべき金員は前示のごとく合計金一、一五〇万円であり、結局、原告は金五四二万六、〇〇〇円の損失を蒙ることに帰着するので取引の通念上、殊更に、かかる損失を蒙つてまで菅野との契約を合意解除して東映に売却すると言うことはあり得ないものと言うべきである。

されば、右の(1)、(2)の事実と(3)の計算上の利害得失を併せ考察すれば、〈証拠省略〉は全く措信することができないものである。なお、〈証拠省略〉、弁論の全趣旨に照らせば、〈証拠省略〉は、本来原告の所持するものであつて、被告の所持すべき筋合のものでないから、被告は〈証拠省略〉を偽造文書として提出したことが認められるので、〈証拠省略〉に対する価値判断は〈証拠省略〉に対する判断と軌を一にするものである。

(二) 右とは対照的に、

(1)  〈証拠省略〉にそれぞれ菅野義孝の住所と表示されている東京都千代田区丸の内一丁目二番地(表示変更後東京都千代田区丸の内一丁目四番六号)には、貸事務所を目的とする社団法人日本工業倶楽部が存在し(同法人は通称工業クラブと言われている)、昭和四一年一月から同四七年一〇月までの間に右法人の従業員及び社員中には菅野義孝と称する者は存せず、又同四二年から同四五年までの間に右法人から事務所を賃借した者の中には菅野義孝と称する人物が見当らないこと、そして、千代田区には菅野義孝なる者の住民票が會て存在したことがなく、麹町税務署に菅野義孝名義の税の申告もないこと、電話帳には東京都足立区保木間町に同姓同名の菅野義孝が居住しているが、同人は調査に赴いた東京国税局職員に対し原告とは全く面識がなく、會て取引したことのない旨を申し述べていることが認められ、右認定に反する証拠がない。又

(2)  〈証拠省略〉に記載されている「増田金次郎」なる者は、〈証拠省略〉を併せ検討すると、その肩書地たる仙台市長者荘一〇四の一に居住していず、唯、そこには「増田金治郎」(昭和四二年一二月一一日死亡)が居住していたものの、「金治郎」は金融業を営む有限会社広瀬商事の代表者であつて、宅地売買の仲介に関与したことがなく、又曾て自ら「金次郎」と署名したことのないことが認められると共に、〈証拠省略〉に記載されている「増田金次郎」の筆蹟及びその名下の印影が「増田金治郎」のそれでないことが認められ、〈証拠省略〉は遽に信用しがたく、ほかに右認定を覆えすに足りる証拠はない。尤も、〈証拠省略〉中には増田金治郎の為すべき申告書に「増田金次郎」の氏名が表示されているけれども、これらの書類は、〈証拠省略〉及び弁論の全趣旨を併せ考察すると、増田金治郎自身が作成したものではなく、従前から増田金治郎方の税務関係を担当していた西村税理士が作成したもので、作成に当り「金治郎」と記載すべきところ「金次郎」と誤記したものと認められるので、これをもつて前示認定を左右するわけにはいかない。

叙上(一)の(1)、(2)と(二)の(1)、(2)において認定した事実を併せ考えれば、菅野義孝なる者は実在しない架空の人物であつて、原告と同人間の取引も架空と看られるから、被告が、原告の菅野義孝に対する前示金員の支払を仮装と看破して、これを必要経費に非ずと否認したことには洵に正当である。

二  原告が増田金次郎に支払つたと称する売買解約手数料、家屋明渡費用金一、〇〇〇万円の有無(一覧表の番号C欄の12参照)

(一) 〈証拠省略〉には「仙台市長者荘一〇四の一広瀬商事増田金次郎」名義をもつて原告宛に「昭和四二年三月三日本件宅地売買契約を同四二年五月二〇日解約に依る手数料並びに右宅地の建物明渡しに関する一切の費用として金一、〇〇〇万円を受領した」旨が記載され、増田金次郎名下に増田と刻せる丸形の印影が顕出されていること、及び〈証拠省略〉には、宮城車体株式会社が昭和四二年五月二五日に増田金次郎に宛て、本件宅地からの立退料として金三〇〇万円を受領した旨の記載のあることが認められ、そして、〈証拠省略〉には、〈証拠省略〉に副うごとく「増田金次郎」に対して本件宅地上の居住者との立退交渉方を依頼し、その立退の費用として金一、〇〇〇万円を支払うことを約し、昭和四二年五月二〇日自宅において現金七〇〇万円を支払い、同月二五日同じく自宅において協和銀行仙台支店振出の原告宛小切手額金三〇〇万円を支払つた旨の供述がある。けれども、

(1)  先に認定したように(前項の(一)の(1)の(ロ)、(ハ)及び(二)の(2)参照)、

(イ) 原告は「増田金次郎」なる者の職業、資力などを全然確知していないこと。

(ロ) 原告は手持現金のうちから「増田金次郎」に対して金七〇〇万円を支払つたと称する五月二〇日に菅野に対しても金一、四五〇万円を支払つたと称しているので、結局、同日合計金二、一五〇万円を現金払いしたことになるところ、かかる大金を個人で手元に保管していることそれ自体が甚だ不自然であること。

(ハ) 「増田金次郎」は〈証拠省略〉の肩書地に居住せず、唯そこには「増田金治郎」が居住していたものの、同人は、金融業を営む有限会社広瀬商事の代表者であつて、曾て宅地の売買の仲介をしたことがなく、又、同人自ら「金次郎」と署名したことのないこと。のほか、

(2)  〈証拠省略〉に表示されている「増田金次郎」の住所、署名及びその名下に顕出されている印影は、〈証拠省略〉に表示されているそれと全く同一筆蹟、印影と認められるところ、〈証拠省略〉のそれが「増田金治郎」の筆蹟及び印影でないことは先に認定したとおりであるから、〈証拠省略〉に表示されている右の表示及び印影も、増田金治郎の筆蹟でなく、同人所有の印鑑により顕出されたものでないことが認められること。

(3)  〈証拠省略〉に徴すると、〈証拠省略〉の名宛人に「増田金次郎」と表示されているのは、本件宅地上に居住する宮城車体株式会社の代表者熊谷一郎が角懸啓司(当時病気で臥床中)の代理人と称する「増田きんじろう」と名乗る中肉中背の六四才位の者から立退料金三〇〇万円を受領した際「金次郎」か「金治郎」か判らないままに「金次郎」と記載したものであることが認められ、又、〈証拠省略〉に照らすと、金治郎は大正六年五月生れであることが認められるから、昭和四二年五月当時は満五〇才と算定されるので、「きんじろう」と名乗つた男が金治郎でなかつたものと推認されること。

(4)  仮に、増田金治郎が原告主張の金一、〇〇〇万円を受領したものとすれば、後に認定するように本件宅地に居住する者に対する立退料は金三〇〇万円だけしか支払われていない関係上、残額金七〇〇万円が同人の営む金融業有限会社広瀬商事か或いは金治郎個人の収入として残存している筈であるのに、〈証拠省略〉によれば、

(イ) 広瀬商事の昭和四二年五月一日から同四三年一月八日までの事業税及び金治郎の相続税の各申告並びに各申告税に関する税務署の調査によつても広瀬商事又は金治郎個人に昭和四二年五月頃金七〇〇万円ないし金一、〇〇〇万円の収入があつたとの事実を発見できないこと。

(ロ) 金治郎は、金融業以外に手を出したことがなかつたので、同人及び広瀬商事の取引先、得意先などを記載した電話帳には原告の氏名が記載されていず、同人の葬儀(同人は昭和四二年一二月一一日死亡)に用いられた香典帳、会葬者名簿にも原告の氏名が全く記載されていず、遺族も原告と一面識もないことが認められること。

を総合すれば、原告が増田金次郎に支払つたと称する金一、〇〇〇万円は架空、仮装のものと看られるので、被告がこれを看破して必要経費に非ずと否認したことは洵に正当である。

三  被告が、原告は昭和四二年五月二五日に訴外宮城車体株式会社に対して立退料として金三〇〇万円を支払つたと認定したこと(一覧表の番号C欄の11参照)の可否、

〈証拠省略〉を総合すると、原告が角懸から本件宅地を買受けた当時における同所の居住者は、宮城車体株式会社とその専属下請業者たる斎藤塗装工業株式会社及び宮城車体株式会社の工場長(常務取締役)山添高治の三者であり、宮城車体株式会社はかねてから仙台市原町小田原椙木原に工場を有していた関係上、二つの工場に分かれて作業を行なわなければならないところから営業管理上支障を来たしていた折柄、前示認定のごとく、昭和四二年五月頃角懸の代理人「増田きんじろう」と称する者から立退方の交渉を受けたのを奇貨として立退料を金三〇〇万円と約定し、その頃宮城車体は、斎藤塗装工業株式会社を前示原町所在の宮城車体株式会社の工場内に移転させ、又、山添を南小泉に新たに借り上げた社宅に転居させたうえ、宮城車体自身もその所有建物を本件宅地に残したまま原町の工場に移転したこと、そして、斎藤塗装工業、山添は、宮城車体との関係が前示のごとき関係にあつたため、宮城車体から命ぜられるままに何人からも立退料等の支払いを受けずにそれぞれ本件宅地から退去したこと、かくて、宮城車体は立退料として額面金三〇〇万円の小切手一葉を昭和四二年五月二五日に「増田きんじろう」と称する者より受領したのであるが、その小切手は原告が協和銀行仙台支店の自己名義の預金口座から払戻した金三〇〇万円を同支店振出の自己宛小切手として原告が交付を受けたものであつて、宮城車体は翌二六日右小切手を常陽銀行五ツ橋支店で現金化したこと(小切手による支払い関係につき当事者間に争いがない)が認められ、〈証拠省略〉中立退料は現金で貰つたかも知れない旨の証言は信用しがたく、ほかに右認定を覆えすに足りる証拠がない。なお、〈証拠省略〉によれば昭和四二年当時本件宅地上の三棟の建物のうち一棟の所有者は登記簿上訴外高橋三弥となつているが、同人は昭和二四年頃、右建物を宮城車体に譲渡して本件土地から転出したこと、又、訴外株式会社宮城陸送は、もと宮城車体から本件宅地上の事務所を借り受けていたが昭和四一年四月に勾当台通一八番地の路上が駐車禁止となつたことが原因で堤通雨宮町に移転したことが認められ、結局本件宅地明渡当時には、高橋三弥、宮城陸送の両名は本件宅地の占有者ではなく従つて立退料支払の対象者たり得ない者である。してみると、原告が立退料として金三〇〇万円を支出していること明白であるから、被告がこれを必要経費として認定したことは適正である。

四  原告が昭和四二年六月一九日に角懸啓司に支払つたと称する金一、六〇〇万円の有無、この点は必要経費でないから深く検討する要がないものと思われるが(角懸に対する売買代金四、四八九万八、一〇〇円の支払(一覧表の番号C欄の1参照)は、被告も原告の申告どおり必要経費と認定している)、一応考察してみることにする。

〈証拠省略〉には、原告主張の右日時と相違するが、昭和四二年六月一〇日に現金一、六〇〇万円を角懸に支払い、角懸が即日協和銀行仙台支店に開設した益子義男名義の普通預金口座に入金した旨の供述がある。けれども、

(一) 〈証拠省略〉を総合すれば、益子義男名義の普通預金口座は角懸の匿名預金口座ではなく、原告自身或いは原告の家族の匿名預金口座であることが認められるところであるから、原告本人の前示供述は信用しがたく、又、〈証拠省略〉を併せ考察すれば、原告が角懸に対して売買残代金四、一八九万八、一〇〇円を支払つた日である六月一〇日に、原告が自己名義の前記銀行普通預金口座から益子義男名義の普通預金口座へ金一、六〇〇万円を振替入金したこと及び益子義男名義の右預金を六月一九日に払戻請求した者が原告であることが認められる。

(二) 尤も、〈証拠省略〉には、原告の払戻した右の金一、六〇〇万円は前示銀行仙台支店の行員天野謙吉が、原告の指示に基づいてこれを保管し、来店した角懸に支払つた旨の証言があるが、

(1)  〈証拠省略〉を総合すれば、協和銀行仙台支店においては、多額の預金を払い戻して現金で支払う場合は、預金担当支店長代理、支店次長等役席者が応接室などで立会つて預金者に手交する慣わしとなつており、特に払戻預金者本人以外の第三者に現金払いする場合は、払戻預金者と第三者が来店して金員の授受を了する取扱いになつており、役席者も立会わず預金者の同席もなく、しかも第三者から受領書を取らずに行員が多額の金員を支払うことは行なわれていないところ、昭和四二年六月一九日の金一、六〇〇万円の払戻には、当時の協和銀行仙台支店長、仙台支店次長、預金担当支店長代理のいずれもが立会つていないことが認められ。

(2)  〈証拠省略〉を併せ考察すれば、角懸が協和銀行仙台支店で本件宅地の売買代金を受領したのは金四、一八九万八、一〇〇円を六月一〇日に受けとつた時のみであること、及び角懸の昭和四三年分の税及び相続税申告事務を依頼された税理士池田直美が角懸の財産状態を調査したが右調査によつても昭和四二年六月頃金一、六〇〇万円の収入があつたとの事実は発見できなかつたことが認められ。

るので、〈証拠省略〉中右認定に反する部分はいずれも信用しがたく、ほかに右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三) 〈証拠省略〉に照らすと、原告は、角懸に支払つた本件宅地の売買代金の受領書を所持しているが(昭和四二年三月一日付手附金三〇〇万円、同年六月一〇日付残代金四、一八九万八、一〇〇円の領収書)、原告の全立証に照らしても、右金一、六〇〇万円の受領書の交付を受けた形蹟が認められない。

以上の事実を併せ考えると、原告は首題の金一、六〇〇万円を角懸に支払つた事実がないものと判断される。

叙上のような次第で、被告が一覧表の番号C欄の12ないし14を否認し、新たに宮城車体への金三〇〇万円の立退料を必要経費と認定(同上C欄11参照)してこれに基づき原告の所得を算定して前記再更正決定並びに重加算税賦課の変更決定をしたことは何らの違法もない。

よつて原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 牧野進 合田かつ子 大塚一郎)

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例